チームホクシンの歴史
OF
HOXIN
創業者・稲田健治の
「挑戦」
『富山地方鉄道』の開発
創業者 稲田健治は、大正14年(1925年) 31歳の若さで舟橋村の村長に当選し、その後19年という長期にわたり任務を全うしました。“暴れ川”と呼ばれた常願寺川の治水事業に尽力するなど多くの功績を残し、政財界とのコネクションも並々ならぬものでした。
当時、乗り物といえば、人力車くらいしかない時代。しかし、そんな高価な乗り物に乗ることはできず、買い物の際には、舟橋村から西町まで、足駄で往復していました。「汽車があれば…」という小さい頃からの夢を叶えるために、健治は富山地方鉄道事業の開発に中心メンバーとして携わり、路線契約や用地確保など、あらゆる面で力を発揮しました。
創業者 稲田健治
『ブリヂストン』との出会い
第二次世界大戦中、400台の乗合バスを抱えていた富山地方鉄道は、タイヤの入手に手を焼いていました。燃料はその頃に開発された木炭や薪で何とかまかなえましたが、タイヤは資源となるゴムの不足によってどうすることもできませんでした。
しかし、当時衆議院議員を務めていた健治は、金色のバッジを胸に、赤羽にある古タイヤの修理再生工場を訪れました。入口にいた守衛さんに話を聞くと、ここは進駐軍管理の工場で、中で働く日本人はブリヂストンの社員だという。早速、守衛さんから会社の場所を聞き出し、その足で当時麻布狸穴町にあった本社へ向かいました。
『北信産業』のはじまり
対応してくれたのは、部長らしき人物でした。そこで「自分は富山の百姓で、富山地方鉄道の自動車事業に携わっています。富山でもタイヤを再生する工場をつくりたいんです」と思いを伝えると、日本の全生産をまかなっているという戸塚工場を紹介されました。
工場に着くと、その壮大な規模に圧倒され、「必ずこのブリヂストンと、何らかの形で業務提携をする」と心に誓いました。富山に帰り、富山地方鉄道の社長に話をすると、「君が命懸けでやるならば、その事業に投資しよう」という言葉が返ってきました。それが、北信産業株式会社のはじまりとなりました。
石橋正二郎氏との初対面
健治は、タイヤ事業に全力を投じることになり、ブリヂストンの創業者・石橋正二郎に会うために、東京の本社へ向かいました。快く迎え入れてくれた石橋社長に対し、健治は、持ち前の話術を生かして構想の全てを話しました。400台の車輌のタイヤの入手に困っていること、そのために戸塚工場のタイヤ再生の技術を教えて欲しいということを伝えました。石橋社長はただ黙然として、大きな目で健治を見つめながら、話の一部始終を聞き込んでいました。
しばらく経つと石橋社長は口を開き、「今、私は全国8つの行政区画について、サービスステーションを設けようと考えている。日本海側では1ヶ所金沢でと思っていたが、君が富山でやりたいというなら任せてみよう」と願ってもいない答えが返ってきました。
ブリヂストン創業者
石橋正二郎
苦境と挫折からのスタート
設備や材料、技術面も含めて、すべてがゼロという状態からのはじまりでしたが、ブリヂストンの全面協力を得て、富山ローカルでのタイヤの生産、そして販売を本格スタートさせました。「稲田さん、この事業は儲からないかもしれないが、とにかく2年間はがむしゃらにやってみなさい。話はそれからでも聞く」という慈愛に満ちた石橋社長からの言葉を胸に、無我夢中に事業に没頭しました。
しかし、その2年が経とうとしていた頃の経営の実情といえば、従業員の給料はおろか、電話代、電気代を支払えるかどうかというほど窮地に追い込まれていました。幸いにも銀行の多額の融資を受けることができ、何とか難を逃れました。
決意新たに、再出発を誓う
ブリヂストン本社からの借入を返しに、石橋社長の元を訪ねました。「苦しい状況の中で、よく借金を返しにきた。立派なものだ。全国の販売店の中でも代議士の経験があり、生きているうちに銅像を建てられた人物はあなたしかいない。ブリヂストンの信用を高めるためにどれだけ貢献しているか計り知れない。今後、遠慮や気遣いなどは一切いらない」と、あたたかい言葉を受けました。
それからは家族ぐるみの交際がはじまり、夫婦で富山に来県された折には、黒部峡谷や宇奈月温泉に一緒に出かけました。石橋社長夫人から健治の妻へ、高価な久留米絣を贈られたこともありました。「何があっても、ブリヂストンタイヤを売らなければいけない」。それこそが石橋社長から受けた恩恵を社会に還元することにつながる。そう決意を新たにしました。
立山黒部アルペンルート開発秘話
立山の観光ルート開発と水資源活用による電力事業確立という観点で1956年にトンネル工事が始まりましたが、地下水を溜め込んだ軟弱な地盤「破砕帯」にぶつかり、トンネル・ダム工事は、幾度となく難航し、出資金が尽きて工事の継続が危ぶまれる状況となりました。そこで大手企業への出資依頼が行なわれ、創業者稲田健治と親交のあったブリヂストンの創業者石橋正二郎を通じて出光興産の創業者出光佐三にも出資依頼を行ない、両社の支援もあって映画「黒部の太陽」で紹介された黒四ダムが完成し、アルペンルートも1971年全線開通にこぎつけたという逸話が残っております。こういう経緯及び親交があった関係で北信産業がブリヂストンと出光興産の富山県代理店となり、現在に至っております。
出光興産創業者
出光佐三
ユーザーのニーズに合わせた多角経営
teamHOXINは時代の流れに沿って事業を展開してきました。戦後タイヤ供給が難しい中、北信更新タイヤ工業としてバスタイヤのリトレッドする会社から始まりました。その後モータリゼーション波がおしよせることが予想され、ブリヂストンタイヤの販売を開始します。又、車社会を支えるには石油販売も重要となった為、北信石油サービスを分社化しました。タイヤの小売事業にも進出し、北信タイヤサービスを分社化し、タイヤ館タイヤセンターの直営小売店網を作りました。更に近年タイヤの預かり保管の需要が増えてきましたのでタイヤプラスという会社を設立しました。北信石油サービスでは、ドクターヘリ用のJET燃料の販売も実施しています。今後もteamHOXINとして安全・快適なカーライフをお届けする事業を展開して参ります。
(富山地方鉄道のバスのタイヤのリトレッド)
直営小売店(タイヤ館・タイヤセンター)出店
(オックスコシダとのジョイント会社)
私たちは創業時の想いや縁を胸に、
2030年にむけて
「富山県のモビリティ社会における
トータルソリューション企業へ」
というスローガンを掲げ、
100周年には売上高100億円を目指します。
古きを重んじながらも、時代の流れに即した
DX化の推進や職場環境の改善、
また働くスタッフとその家族が
幸せと感じられる職場創りを目指します。